「eternal birthday 〜約束の丘」
夏の終わりの星座がすべて空に昇りきるころ、聖域を挙げて盛大に執り行われた女神の降誕祭がようやく幕を閉じた。
女神は華やかな宴の余韻が残る神殿を出て、神殿の裏に広がる丘の上にひとり佇んだ。撫でるような優しい夜風が、女神の髪を、足元の草葉をそよそよと揺らす。見上げれば、光が降り注ぐような星空。輝く無数の星たちを、幾度見上げたことだろう。生まれてくる星。消えてゆく星。できることなら消えてゆく星は見たくはないのに・・・
「沙織さん」
聞きなれた少年の声に、つい先ほどまで「アテナ」と呼ばれていた少女が振り向く。
「星矢」
少女は数百年に一度、地上に邪悪がはびこるときに必ず現れるという闘いと平和の女神アテナの化身であった。そして、その女神に「星矢」と呼ばれた少年はアテナを守る希望の戦士、聖闘士。幾多の闘いを共に乗り越えてきた少年の姿をみとめて、少女の表情が自然と緩む。少年のほうも、まるで女神を前にしているとは思えないようなくだけた口ぶりで尋ねた。
「何してんだよ、こんなところで」
「星を見たくなって・・・。星矢こそ、どうしてここへ?」
「俺?俺も星を見ようと思ってさ。ここって、他の光がほとんど届かないだろ?だからここから見る星って、すごい綺麗なんじゃねーかなと思って」
「そうね」
短く答えて、沙織はまた空を見上げた。雲ひとつない星空。なのに、それぞれに光を放つ星たちを映す瞳には微かな翳りが差していた。沙織の小宇宙に悲しみの気配を敏感に感じ取って、星矢は沙織の顔を覗き込んだ。
「なに浮かない顔してんだよ。せっかくの誕生日なのに。疲れた?」
「いいえ、そんなことはないわ。聖域の皆に祝ってもらえて、とても嬉しかったわ」
そう答えた沙織の微笑みは、やはりどこか悲しげだった。
嬉しかった、という言葉に嘘はなかった。自分が生まれたこの日を、聖域の人々がまるで家族のことのように喜び、笑顔で迎えてくれたことが本当に嬉しかった。けれど。どうしてもひとつの、大きな悲しみを胸のうちから消すことができない。遥かなる昔から、そして自分がこの世に降誕するたびに、未来永劫繰り返され続ける果てしない悲しみ。自分がアテナである限り、否応無く大切な者たちを闘いに向かわせ、傷つける。ただそれだけが悲しかった。
「なあ、沙織さん。俺、この世界に生まれてきて、聖闘士になって、よかったって思ってるよ」
星矢は沙織の胸のうちに差す影を照らすような、晴れやかな誇りに満ちた笑顔を沙織に向けた。まるで沙織の気持ちが見えているかのように。
「だって、俺にはもう母親も父親もいなくて・・・姉さんはいるけどさ。あのまま星の子学園にいたら、こんな風に誇りをもって生きられなかったかもしれない。けど聖域に来て、魔鈴さんに教えを受けて聖闘士になって、地上の平和を守るために闘えて、仲間もいる」
「星矢・・・」
「それと、沙織さんがアテナでよかったって、思ってる。だってさ・・・」
「なあに?」
星矢がいたずらっぽく笑った。
「ほら、沙織さんがアテナじゃなかったらさ、さすがの俺も馬にさせられてたかもしれねーもんな」
からかうように言った星矢の言葉に、沙織は顔を赤らめた。
「もう、そのことは忘れてちょうだい!」
「嘘、嘘、冗談だよ」
思わず声をあげて恥ずかしがる沙織の様子に、星矢がおかしそうに笑う。
「星矢ったら・・・」
つられて、沙織にも笑顔がこぼれる。
「そうやって、笑っててくれよ。沙織さんが笑ってくれたら、俺も嬉しいからさ」
沙織の頬がまた少し、赤く染まった。
星矢は「へへっ」と、照れ隠しのように笑って、星を掴もうとするかのように空に向かって腕を伸ばした。
「俺はペガサスの聖衣に、自分の運命に誇りを持ってるから。またいつか生まれ変わったときにも、聖闘士になりたいと思う。何度生まれ変わっても聖闘士になってみせる。だから沙織さんも、またちゃんとここに生まれて来いよ。アテナがいなきゃ、聖闘士になっても意味がないじゃん?」
「でも、・・・」
「いいんだよ」
沙織が顔を曇らせて言いかけた言葉を、星矢が遮る。
「沙織さんがいてくれるから闘えるんだ。誰かがやらなきゃならない闘いだから、俺は闘う。地上を、沙織さんを守る。前にも言っただろ?俺は聖闘士だぜ。ごちゃごちゃ考えることなんかねーよ。またここでこうやって一緒に星を見ようぜ。俺、待ってるから」
沙織は星矢の瞳を見つめた。
“これまでずっと信じてきたように、これからもずっと、この瞳を信じていればいいのね?”
星矢も沙織の瞳を真っすぐに見つめ返して、黙ったままうなずく。
「ほら」
星矢が右手の小指を差し出した。
「指きり!」
促されるままに、おずおずと沙織も細い指を差し出す。星矢は自分の小指で沙織の小指をとって歌いだした。
「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ーます、指切った!」
と、絡めていた小指を解いたかと思うと、ふっと沙織を抱き寄せた。優しく、包むように。
「俺、沙織さんに出逢えて良かったって、思ってるから。本当に、生まれて来てくれて良かったって・・・」
「ありがとう・・・星矢、ありがとう・・・」
他に言葉が思いつかない。ただ、ただ涙が溢れて止まらない。暖かい腕の中は、さっきまで見上げていた星空のように広くて、いつかまたここに生まれてくるのだと、そう思えた。何度でも、何度でも、出逢うために。悲しみが消えることはないだろう。それでも、生まれてこよう。悲しみを越える出逢いがあると信じることができるから。この宇宙で巡り逢える。それだけでいい。
「だから、沙織さん、誕生日おめでとう」
never end.
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