<パステル色のデート>
瞬が選んだデートコースは、東京郊外にある小さな絵本作家の美術館。 正直言って、瞬に美術館に行こうと誘われた時、沙織は少しがっかりした。グラード財団でも多くの名品を所蔵する美術館を持っていたし、その他の美術館も貸切で充分見ることができるので、いくら絵画や彫刻を見るのが好きとは言え、わざわざデートの時まで見に行きたいとは思わなかったのだ。 でも、どうしてかしら?この美術館は、新鮮でどことなく懐かしい。 沙織は入り口で立ち止まると、ぐるっと中を見渡した。 白を基調としたこじんまりとした建物の中には、優しい色使いの水彩画が展示されている。 期間限定の超有名作家の展示会ではないので、訪れる人もまばらである。 「沙織さん、こういう美術館は初めてでしょう?」 沙織の気持ちに気がついたかのように瞬が尋ねる。 「ええ、初めてよ。でも、なんだか懐かしい気がするわ。」 ちらっと作品の方に視線を向けながら沙織は答えた。 「瞬は、こういう絵画が好きなの?」 『ある夏の日』という表題のついた絵画の前で立ち止まり、幼い2人の兄弟が海で遊んでいる絵を、口元をうっすらとほころばせ、目を細めて見つめている瞬に向かって沙織は尋ねる。 「ええ。こういう作品も好きですし、もちろん巨匠の作品を見るのも好きですよ。でも、特に、作品にはあまりこだわらず、混まないところをゆっくりと見て回るのが好きなんです。」 瞬は、作品を見ていた時の優しいまなざしをそのまま沙織に向けて答える。 いつもだと美術館の学芸員がうやうやしく挨拶をした後に、作品1つ1つを丁寧に説明してくれるが、今日はそんな解説をしてくれる人はいない。だけど、充分であった。ある程度の解説なら書かれているし、それよりも、作品ひとつひとつを自分のペースで、自分の感性で見ることができるのだ。 「瞬が熱心に見ているこの海の絵の子供たち、まるで、一輝と瞬みたいね。」 「僕も幼い頃のことを思い出しながら見ていました。」 「きっと、こっちがお兄さんね。貝殻を弟のために拾ってあげているの。」 「いえ、こっちが弟だと思います。弟は兄が拾ってきてくれた貝殻をもう一度埋めているんです。それを兄は見ているんです。」 一瞬、懐かしげな目をして瞬は言う。その目を見て沙織は気が付く。 「瞬と一輝もそうだったのね。」 「ええ。」 沙織は、瞬の宝物の1つを覗いたような気がした。 「まあ、懐かしい。この絵本、私、大好きだったのよ。おじい様がよく読んでくださったわ。この方の作品だったのね。」 ここは、美術館の中にある図書館。この絵本作家の作品が全て収蔵されているらしい。 美術館に入った時、懐かしい感じがしたのは、そのせいだったのであろう。 「僕は、この絵本かな。」 瞬は地球が描かれた絵本を差し出す。 「これは、ここの絵本作家が描いたものじゃないけれど、僕が初めて平和について考えた本なんです。地球には本当は国境なんてないんだって。地球は宇宙のひとつの星に過ぎないんだって。でも、地球は小さいけれど、美しく、生命に満ち溢れている。この地球を大切にしていかなくては。そして、地球上のすべての人たちが幸せに暮らせるように平和な世界にしなきゃいけないんだって。」 穏やかな口調、けれどもその言葉ひとつひとつに力強さを感じながら、沙織は軽く頷く。 明るい陽光の注す小さな図書館には瞬と沙織以外の人はいなく、貸し切り状態であった。 淡いパステルカラーのカーペットの上に寄り添うようにして座り、お互いの思い出の本や幼い頃について語っている二人の姿は、それだけで一枚の絵になりそうである。 これと言ったことは何もない。けれど、このゆったりと気持ちが落ち着く時間。沙織は、とても贅沢な時間を過ごしているような気がした。 (END)
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