聖〜セイント〜バレンタイン

 

カレンダーをめくり二月になった日から、ある数字が気になって仕方が無くなってしまった。 

城戸邸の執務室で仕事をしていても、何をしていてもカレンダーの日付をつい目で追ってしまう。 

14日を。 

 

 

 バレンタインの日。
神経が高ぶっているせいか、早朝に目が覚めてしまった。
二月初めの朝け方はまだ寒い。
ベットサイドのテーブルへ置いてあったリモコンからヒーターのスイッチを入れて、部屋が暖まるとベットから降りた。
「ニケ、ご機嫌いかが?」
出窓に置かれた鳥かごの白ふくろうへ声を掛ける。
夜行性の鳥は、眠たそうな目をこちらへ向けた。
「おやすみ」
微笑んでニケの頭を撫でると、目をつむり気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
クローゼットの扉を開け、ワインレッド色をしたベロアのハイネックロングワンピースを取り出し、シルクの白いパジャマから着替えると、

その上からアンゴラのロングコートを羽織った。
香りを嗅いで気持ちを落ち着かせようと、鏡台の引き出しからヘリオトロープの香水を取り出す。
白色と紫色の小瓶がセットになって収められた箱は、光政おじい様からバースデーにプレゼントされた物。
戦いへ赴く時は、いつも紫の瓶を携帯していた。 紫色の花言葉のように、一緒に戦うあの人を守りたくて。 

聖戦が終わり、紫色の小瓶は空になった。 

戦いの済んだ今、白色の花言葉のようにあの人へ愛情を捧げたい。 

初めて使う白色の瓶からしずくを小指にそっとたらし、耳朶へ付けた。 

 

 

乗馬ブーツを履いて屋敷から庭へ出ると、東雲の空が広がっていた。 

祖父が自身で選んで丹精していた、木々や花々が朝露に濡れて光っている。 

幸福な伝説と花言葉を持つ、ギリシアゆかりの植物を中心とした庭園。

 春にはバラの木やアイリスの花、夏にはスズカケの木やアカンサスの花、秋にはサフランの花・・・・・・。 

寒椿の赤い花が咲いたように、私の恋の花も咲いてしまった。 

紅梅の蕾がほころび始めている。 

梅の花が実になるように、私の恋も実る日が来るのかしら。 

ぶらぶらと歩いていると、思いがけなくその人が向こうからやって来た。 

オレンジの丸首ニットとブルージーンズに星型マークの付いた靴を履いている。

 この人の小宇宙(コスモ)はいつも熱い。 

「やあ、沙織さん」

 子犬のような無邪気な笑顔で笑いかけられ、顔が赤くなるのが自分でも分かった。 

「おはよう、星矢」 

心臓のドキドキする鼓動を抑え、平静を装って挨拶をする。 

「早起きなのね」 

「今朝はなんか早く目が覚めたんだ」 

私と同じだわ。 

「休日だから、今日は家にいるんでしょう」 

何気無く、彼に尋ねる。

「今日は美穂ちゃんとの約束があるんだ」 

少年の顔にしまった、という表情が浮かんだ。 

ふたりはバレンタインデーにわざわざ約束して会う仲なのね、とひとり納得する。

 「そう、いってらっしゃい」 

何か言いたそうな星矢を残して、その場を立ち去った。 

 

 

 私室に戻り、テープルの上に置いたプレゼントの山から包みをひとつ取り出した。 

包装を外し中の「ILoveYou」と書いたカードを捨て、包み直しをする。 

失恋をしたというのに、自分でも不思議なくらい冷静に作業をしていた。

 

 ☆

 

 いつものように、朝食の席は賑やかだった。 

ブロンズセイントだった十人の男の子とシルバーセイントから仮面を外したジュネに紫龍の彼女の惷麗、星矢の姉である星華の私を含めた合計十四人の食卓。 

ハーデスとの戦争が終わった後、私は星華を含む城戸光政の子供らをこの城戸邸へ呼び戻した。 

ジュネと惷麗は争いで負傷した恋人の付き添いとして屋敷にいる。 

戦でセイント達が負った傷は深く、一匹狼の一輝でさえみなと共にここで療養していた。 

それでも、心身共に回復しつつある彼等は十代の若いエネルギーを発散しながら、賑やかに生活している。 

和・洋・中華のバイキング形式なので、めいめいが好きな料理を取って席に着く。 

給仕役として辰巳がいる。

 食欲が湧かなくて、グリーンサラダとアップルジュースだけトレイに載せてテーブルに座った。

朝食が終わるとすぐに星矢は出掛けて行った。

 「行って来るぜ」と言う弟を「いってらっしゃい」と見送る姉の横顔に、

息子を見守る母のような微笑が浮かんでいる。 

星華はルピナスの花言葉のような女性だわ。 

その様子を見て「男性は自分の母親に似た女性を恋人に選ぶ」という説を思い出した。 

星矢が理想とする女性のタイプは、やはり母性的なタイプなのかしら。

 星華の面だちに、ある女の子の面影が重なった。

 

 ☆ 

 

食事が済んで食堂へ残っていた十三人へ、バレンタインのプレゼントをした。

 一輝はオレンジ、紫龍はグリーン、氷河は水色、瞬はブラック、邪武はホワイト、市はパープルー、蛮はブラウン、激はイエロー、那智はグレー、星華はブルー、ジュネ はシルバー、惷麗はピンクとそれぞれ色の違うマグカップにチョコレートが入っている。

 「いつまでもお客様用のカップを使っていては、落ち着かないでしょう。

ここはあなた達の家でもあるめだから、くつろいでちょうだい」 という言葉と笑顔を添えて渡した。

 女の子にプレゼントするのは変かも知れないけれど、それぞれに対する愛情表現としてあげた。 

城戸家に何年も仕え既にマイ・カップを持っている辰巳へはチョコレートの代わりに、テディペアの形をしたガラス瓶に入っているブランデーにした。

 その後、二組のカップルがデートに出掛けて行った。 

桔梗色のチャイナ服を着た紫龍と紅梅色のロングチャイナドレスをまとった彼女が寄り添って行った。 

チャイニー娘らしいスリムな身体に愛らしい顔立ちの惷麗を見て、昔星矢に言われた言葉が耳の底に甦った。

 「可愛くねえ女」 私にもう少し可愛気というものがあったら、彼は私を好きになってくれたのかしら。 

ブラウンのスリットが入った本皮のロングスカートに皮ジャンをひっかけた彼女の後をホワイトのカラージーンズを履いた瞬が付いて行った。 

ジュネには同性の私でさえ見とれてしまう色っぽさがある。

私にちょっとでもあの色気があれば良かったのに。 

ふとマイナス思考になっている自分に気が付き、頭を振って考えを追い出した。

 

 ☆

 

 日中は比較的暖かかったのに、夕方になると肌寒くなった。 

カーテンを閉めようと窓際に立った時に門に星矢が帰って来る姿が見えた。

 赤い薔薇の花束を両手に抱えている。

 あの子からのプレゼントかしら。 みんなに渡したマグカップを彼にだけ渡さない訳にはいかないので、プレゼントを持って私室を出た。 

星矢の部屋のドアをノックして、出てきた彼にに包みを渡すと、ふいに目の前に赤い薔薇の花束を差し出された。

 「え?」

 戸惑っていると、少年はいたずらっ子のような表情で笑った。

 「バレンタインに女が男にチョコレートを渡して告るのは日本だけで、外国じゃ男が女に花を渡して告白するんだぜ」 

自慢気に知識を披露する。

 「そんな事ぐらい知っているわ」 

それがどうしたと言うの。 

「今日は美穂ちゃんにチョコレートを渡したいから会おうって誘われて、ケリをつけようと会いに行ったんだ。 

チョコを君からはもう受け取れないって言ったら泣かれたけどな」

 白昼夢でも見ているような、不思議な気分で彼の告白を聞いていた。

 「セイントもアテナも必要の無い平和な世界になったら、沙織さんに告ろうと前から思っていたんだ」 

ふいに、涙がこぼれた。 

長い間、心に溜まっていた塊を溶かすかのように涙が溢れる。

 「昔は子供だったから可愛くねえとか心とは裏腹のひねくれた事言っちまったけど、今の俺に取っては沙織さんが一番大事な人だから」 

そう言う彼は、いつもより大人びて見えた。

 「沙織さんが泣く時は、いつも俺のせいだな」 

星矢は苦笑して、私の肩へ手を回した。

 

 ☆

 

 バレンタインデ−。 

それは私の片思いが実った日。

 

 

END

by 野菊さま


 

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