日が沈みあたりは薄暗くなり始めていた。町の灯りが綺麗に灯っている。
沙織はグラード財団総帥として用事をすませ、巨大なビルの前でしばし立ち尽くしていた。
寒いと思ったら、今年初めての雪がちらつきだしていた。
手のひらをそっと差し出して、雪が手のひらの上に落ち、さっと消えてしまうのをしばし眺めていた。
もうすぐクリスマスなんだ・・。
沙織は両手のひらを口に近づけて白い吐息を吐いてみた。
サンクチュアリからなんどもアテナへの呼び出しがきている。
グラード財団の仕事を済ませ、明日にでもサンクチュアリに向かわねばならなかった。
邪悪なるものが目覚めようとしている。
決戦の時が近づいているのは聖闘士たちはもちろん、アテナである沙織も当然感じていた。
しかしまだ日本に未練があった。
とても叶いそうもない夢を、消えてしまう雪の結晶に見ていた。
もうすぐクリスマス。
しかしアテナとしての沙織にはそんな夢を見ている暇はなかった。ことは緊迫しているのだ。
街中では女子高校生達が意中の人にあげるクリスマスプレゼントをそれぞれ手に持ちながら、キャーキャー騒ぎながら遠くを通り過ぎていく。町のイルミネーションが少しボケていく・・・。
その中に見に覚えのある人を見た気がした。
「美穂・・・ちゃん?」
沙織はふとため息をついた。
本当なら・・普通なら私もああして一学生としてあの中にいたかもしれない。
しかし普通であること、それは沙織にとって叶わぬ夢であった。幼い頃からグラード財団総帥としての教育をされてきた沙織。そして今はこの世界を守る聖闘士達を束ねるアテナである。
沙織は星矢の友人である美穂ちゃんがずっと羨ましいと思っていた。
普通でいられること・・・いや彼女は幼いころから孤児院にいて決して普通ではなかったのかも知れない。
しかし学校に通え普通の友達がいる。アテナとして地上を守らなければならないという責務はない。それだけで沙織には十分うらやましすぎる存在であった。
そしてなにより・・・
なにより星矢と幼馴染であり、星矢と友人として対等にしゃべれる美穂ちゃんが、それが1番羨ましかったのである。
沙織はいつの頃から星矢をひとりの男性として意識していた。それはずっと幼い頃からかも知れない。
いつからか気の遠くなるくらい昔からかもしれない。
幼い頃、孤児院から引き取られた子供達が沙織の周りにたくさんいた。
その中で一緒にいた姉と別れたのか、暗闇に一人泣いていた少年を沙織は偶然見つけてしまった。
声もかけられず、遠くから黙ってみていた。ずいぶんと長い時間・・・
男の子が泣いている姿を見るのは初めてだったのである、それだけで沙織には興味の対象となりえた。
しかし、その少年はみんなの前では意地を張って涙ひとつ見せることはなかった。
沙織はその星矢という少年が気になって仕方なくなっていた。仲良くしたくてどうしようもない自分がいた。
その思いとは裏腹に、小さい頃からグラード財団の令嬢として対等の友達などいるはずもなく、仲良くする術もわからなかった。
「馬になりなさい」
それは沙織にとって、少年に近づくための精一杯の言葉だった。
しかし、それはその少年との距離をますます広げてしまうだけの言葉だったのである。
・・・そして今10年前と変わらない自分がいる。
アテナとして聖闘士の頂点にいる。グラード財団の総帥として、日本の経済を動かしている。
だけど今でもあの頃と変わらない、いや変われない自分がいる。
気になる存在だった少年が、戦いの中で頼りになる聖闘士となって自分の1番近くにいた。
そして、いつしかその思いは愛情に変わって行った。
しかし、その思いとは裏腹に未だに近づけないでいる自分がいる。
グラード財団総帥としてなんでも手に入るのに。アテナとしてこの世界に君臨しているのに。
いつまでたっても自分の心だけはままならない・・・
雑踏の中、大きなクラクションの音が鳴り響く。
沙織はハッしてあたりを見まわすと、雪はますます振り続くけていた。
あたりはすっかり暗くなっていた。遠くで辰巳がやきもきしながら手を振っている。
街中でクリスマスソングがかかる。沙織はいとおしげに町並みを眺めていた。
永遠に帰ってこれないかもしれないこの世界。
もう2度と戻らないなら・・・
サンクチュアリに出向く前に、少しでも素直になれないかしら?
沙織は軽く辰巳に手を振って、小さなショーウィンドウの店に入ってみた。
あの少年のためのクリスマスプレゼントを手に入れるために。
戦いが一段落し、星矢はひとり街中を散歩していた。
散歩していたというより、ショーウィンドウをあちこち覗き見しては店員と目が合い、あわてて立ち去って行く。
それを1日何回もくりかえしていた。
「何やっているんだ俺はー!」星矢はひとり苦笑していた。町の片隅で星矢は立ちつくしてしまった。
何をプレゼントしてもあの人には意味のないものに思えてきてしまい、途方にくれてしまったのだ。
いつしか白いものがチラチラと落ちてきていた。
星矢はふと「ああ氷河なら、こんなことをしなくてもきっとこんな綺麗なプレゼントができるんだろう」・・なんてどうしようもない考えに捕らわれていた。
星矢は朝からクリスマスプレゼントを探していたのだ。
今までそんなものを人に買うなんてしたことない。ましてや相手はケタ違いの金持ちだ。
おそらく手に入らないものはないだろう。それが1日中歩きまわされる原因だった。
星矢は幼い頃憧れている人がいた。豪華なドレスに身を包んだ綺麗な女の子。
初めて見たとき、孤児院にいたころ姉さんに読んでもらった本に乗っていた天使かと思い息を呑んだ。
その子は自分を引き取った屋敷のお嬢様だったのだ。
触れてみたかった。しゃべってみたかった。仲良くしたかった。
しかし屋敷のお嬢サンでは身分違い、使用人たちに阻まれて近づくことさえままならなかった。
もどかしく思いつつ子供の星矢にはどうすることもできなかった。
そんなある日、彼女がはじめて口を効いてくれた言葉
「馬になりなさい」
星矢は彼女に近づきたいと思う反面、対等でいたかった。彼女と友人以上の立場になりたかったのである。
反発するしかなかった。
その一方で、仲間の少年が素直に馬になってしまうのを羨ましく感じていた。
自分がもどかしくて、その少年をからかった喧嘩した。あの遠い日・・・
今でも少しも成長しない自分に気づき、星矢はふたたび苦笑した。
自分とは住む世界が違う、そう言い聞かせ彼女をずっと避けていた。
それは今でもそうかも知れない。
でも、激しい戦闘のさなか自分があそこまでアテナのために戦えたのは、
単なる聖闘士としての義務感ではなかった。
世界を守る、アテナを守る・・・そんなことは本当はどうでもいい自分に気づいてしまった。
彼女だけは自分の手で助けたいという気持ちが強くあった。
事実、数々の戦いのさなか、すべて自分の手でアテナである彼女を救っていた。
自分にはアテナとしての彼女より、ひとりの女の子として彼女を救いたかったのである。
そしてついにその気持ちが、彼女を好きという感情だということに気づいてしまった・・・
彼女はアテナとしてサンクチュアリから呼び出しがきていた。
緊迫した小宇宙は自分にも十分伝わってくる。
聖闘士のはしくれである、星矢にその事態がわからないわけはなかった。
おそらく彼女は用事を済ませたら、すぐにでもサンクチュアリに飛び立つであろう。
星矢は落ちてきた雪を握り締め、気持ちを伝えるのは今しかないと決意した、
町中を彼女を求めて走り出す。
プレゼントはものでなくてもいいじゃないか、自分の気持ちを素直に彼女に送ってみよう。
この地に再び戻ってこれる保証はないのだから・・。
星矢は降り積もる雪の中を、彼女の姿を探し城戸邸を目指した。
END
by こし